写真と文・小町剛廣
(この原稿は2001年に連載していたものです。
当時の臨場感を出すためにそのまま掲載しております)
週刊 ジャーフル・連載第2回
ーディスコの中に空港ー
「どっかで見たことのある景色だな……」
デジャ・ヴとは違う感じの気持ちに出くわした。
当時(93年頃)、ハバナから、キューバが観光に力を入れているカヨ・ラルゴ島へ遊びに行ったときのことである。
当時、私にはキューバで知り合った彼女がいた。
彼女の名は、ジャネイシー。キューバのちょうど真ん中あたりに
位置するセントロキューバ出身の22歳の女の子。
ジーンズのよく似合うスレンダーなスタイルで、ラテン
系の女性らしくプリッとしたお尻をしていた。
また、とても黒い大きな瞳が印象的だった。
笑うときこれ以上ない笑顔をいつも見せる。
ひょんなことで知り合い、
意気投合していくうちに仲良くなった。
慣れないスペイン語でのやりとりに、
心ときめいた。何て言ってるんだろうと、
興味津々に辞書を引いてみると、他愛のないことだったり……。
何回かキューバに行っているうちに
ジャネイシーと付き合うようになり、
もっと彼女を知りたい気持ちから、
二人の時間を過ごすために、カヨ・ラルゴ島へ彼女を誘った。
島へ向かう飛行機は、つい最近まで軍用機として使われていたのではといった代物で……。
離陸するときに、機内は白煙を立てて真っ白に
なってしまう。「おい、大丈夫か?」と
自分に言い聞かせながらも、隣を見ると
全然お構いなしに笑っている彼女がいた。
どんなときでも陽気に振る舞う彼女に
ラテンの女性を感じ、惹かれていく自分がいた。
そんなことよりも、彼女は小さな窓から
見える景色を指さし、「どう」と言わんばかりだった。
カヨ・ラルゴ島は、さす
にするだけあって、素晴らしかった。
私は仕事柄、南の島へ行くことが多い。
数々白い砂浜で撮影してきたが、
ここカヨ・ラルゴ島の砂が今でも一番きめ細かいと
思っている。
撮影を終えたカメラを清掃するのだが、
このときは、今まで砂の入ったことの
ないところまでぎっしり入り込んでいて、
びっくりしたことを覚えている。
ラテン系100%のジャネイシーと
カヨ・ラルゴ島の空港に着くと、サルサのビートが聞こえてきた。
横を見ると、いきなり彼女が踊り始めた。
このような全員参加のダンスは、
キューバでは日常に見られる。
日本では、演じる側、それを観客として
見る側と分けられることが多い。
キューバでは、演じる側と見る側の区別はない。
踊っているときの彼女はとてもエキサイティングに
腰を振り、またすごく気持ちよさそうであり、
しかも華麗である。
見ている私の心も踊り出してしまう。
「そうか!」。私がこの国にのめり込んでいく理由のひとつがこれだった。
カヨ・ラルゴ島での日々は、まぶしいくらいに楽園そのものであった。
この国の人々は、何も持たないことが多い。
経済封鎖の影響もあり、必要最低限の物しか持たない。
ジャネイシーをカヨ・ラルゴ島に誘ったとき、
彼女の手荷物はなんと、コンビニの袋程度だった。
3泊4日ではあったが、荷物の少なさにびっくりした。
途中、こんな会話をした。
「どんな水着を着るの?」
彼女はすかさず言った。
「水着より、水着の中身に興味を持ちなさい!」
あまりにストレートに的をつかれた。こんなときに、
日頃、物があふれている中で生活している
自分が情けなく感じてしまう。
キューバ人は楽しむことを知っている。
何も持たなくても知っている。
最終日の夜、彼女とディスコに行った。
踊っている間、終始、その場所が気になっていた。
どかで見た気がしてならなかったのだが、
どうしても思い出せず、翌日帰ろうとして空港へ行くと、
やっと謎が解けた。
ディスコの正体は、空港だったのである。
空港へ最初に着いたときは昼間で、あたりは明
るく、わからなかったのだ。
あわてて空港の看板を見ると、そこには仲良く
AEROPUERTO (空港) と
DISCOTECA (ディスコ)
と書いてあった。この国では、
空港もディスコにしてしまうのか!
なんと素敵な人たちであろう。